①教育学部の価値を考える
実は高校1年生までは、将来数学の教員になりたいと思っていた。
今となってはそうは思わないが、妹の受験数学を教えた経験から、教育にはずっと興味があり、最近きっかけがあって教育について調べることがあった。
そもそも「教育学」ってなんだろう
気になって調べてみた。
wikiによると
「教育学」とは、その時代や状況に合わせた適切な教育方法を追究する学問です。 子どもたちが健やかに成長するにはどう導いていくべきなのか、過去の事例・事象なども検証していきます。 さまざまな教育を研究対象とするため、学校だけでなく、家庭内での教育や企業での人材教育、政策としての教育なども研究範囲に含まれます。
とある。
ここで、時代に合わせた適切な教育方法について考えてみよと思う。
僕は現在20代中盤で、小学校、中学校、高校、大学と、全ての教育機関で、まったく同じ方法で教育を受けてきた。
およそ、15年間、教員が教科書を読み、黒板に内容を書き、それを写経のようにノートに写すという方法だ。
この15年、教育学において、進歩はほとんど見られなかったように思えてしまう。
時代は常に同じでない。
僕が学校で受けた教育は、僕の親が受けたものからほとんど変わっていない。
これは個人の意見だが、学校で行わてるテストの仕組みもよくなかったと思う。
ただ、単語を暗記すれば優秀とされるような仕組みが、少なくとも僕の時代には含まれていたと思う。
だから、歴史の勉強において、重要な
「何が起こり、そのとき世界はどのように動いたか」
については全く記憶に残らず、
「〇〇年に××が起こった」
「△△という人物が◇◇という法律をつくった」
みたいな体系的でない知識ばかりついてしまうのだと思う。
また、古典の授業についても疑問を感じる。古典を学んだことで、将来の役にたっているという人は1%にも満たないだろうが、ほぼ100%の高校生が受講を強制されている。
社会に出てから、古典を学んだ経験は、自分の中の反面教師として活きている。
「周りに倣って行動すると時間を無駄にする可能性がある。だから主体的である必要がある。」
今の時代、暗記の能力に価値は少なくなった。
わからなければ調べればいいし、検索の能力もかなり上がった。
暗記していても、仕事のことなら確認のために調べなおすこともあるだろうし、重要性は暗記から考える能力に移りつつある。
今日はこのあたりで。