【引退】ホークスファンが語るサファテ投手

僕は10年以上ホークスファンを続けている。

 

応援し始めた頃、ホークスのクローザーは馬原投手だった。

 

球速は150キロを超え、フォークとのコンビネーションで抑える投手だった。

 

当時、150キロを超えるストレートを投げる投手は、今ほど多くなく、SBM48ちょ(攝津、ブライアンファルケンボーグ、馬原、甲藤、森福)という鉄壁リリーフの中のファルケンボーグ投手と共に、試合の終盤を剛速球で締めくくるクローザーだった。

 

2012年、馬原投手の怪我により、森福投手とファルケンボーグ投手が併用でクローザーを務めるようになり、2013年もファルケンボーグ投手の相次ぐ故障により、五十嵐投手との併用という形となった。

 

上記の故障過多により、ファルケンボーグ投手は2013年シーズンをもって退団。

 

デニス・サファテ投手の獲得が発表された。

 

前年、西武でも素晴らしい成績だったが、2014年、サファテがとんでもない成績を残す。

 

防御率1.05 68回1/3 96奪三振(奪三振率12.64) 37セーブ

 

この年、ホークスは秋山監督最終年で、2位のオリックスと10月まで優勝争いを続けた。

 

おそらく、サファテ投手抜きでは、優勝は無かっただろう。

 

これまで見てきたホークスのクローザーで、圧倒的な投手だと感じた。動画等を検索していただければわかると思うが、特に、ストレートの質は、他の投手とは明らかに性質が異なるものだった。

 

その後もサファテ投手は快投を続ける。

 

翌年、2015年には、防御率1.11で、リリーフ投手ながら102奪三振を記録した。

 

この年の奪三振率は14.65と、今年のモイネロ投手のパフォーマンスをシーズン通して続けたような記録だ。

 

2017年、ホークスはリリーフ投手の好調により、シーズン94勝を挙げる。

この年は、セットアッパーの岩嵜、クローザーサファテに加え、森、嘉弥真、五十嵐、モイネロと他の投手もフル回転だった。

投球回100回以上を投げている先発が3人しか居ない中、シーズン94勝を挙げたということもあり、この年はリリーフの年とも言われている。

 

また、サファテ投手は、契約上3連投以上はしないことになっているが、この年の日本シリーズ第6戦でサファテ投手の漢を見ることになった。

3連勝から2連敗で迎えた6戦目、試合は同点のまま9回を迎え、サファテ投手が0で抑える。

 

9回の裏も点が入らず、10回、マウンドにはサファテが立っていた。

 

柴田を抑ると、ガッツポーズをしながらベンチに帰った。

志願してマウンドに上がったとのこと。サファテの男気を感じた。

 

そしてなんと11回のマウンドにもサファテが上がる。そしてその裏、川島選手のサヨナラで試合を決めた。

 

翌年2018年以降、サファテ投手は怪我に悩まされた。

また、サファテ投手の前を務めていた岩嵜投手も、同様に怪我と戦っている。

今年も序盤はセットアッパーとして登板していたが、相次ぐ救援失敗で現在は2軍だ。

 

2017年日本シリーズの回またぎが大きくかかわっているのかはわからない。

 

しかし、彼は自分の選択に後悔は無いのではないかと思う。

 

彼が発したメッセージの中に、「最後の仕事は終えた。最高の仕事だった。」

 

という内容があり、これは、日本シリーズでのことを指しているのではないかと思う。

 

また、サファテ投手が現在治療している股関節は、ホークスの左エースとして活躍した杉内投手の引退の決め手にもなった怪我だ。

 

2010年の終盤、杉内投手のフォームが明らかに立ち投げのようになっていることを感じた。その年の最終登板でダルビッシュ投手と投げ合ったときには、通常のフォームに戻っていたが、痛みを堪えて投げていたのだと思う。

 

今年のオープン戦で、サファテ投手が登板した際にも、その時と同じことを感じた。

 

踏み込みが浅く、立ち投げに近い状態。

 

股関節の怪我は、我々が思っている以上に深刻なのものかもしれない。

 

杉内投手の場合、日常生活にも支障が出るレベルだったという。

 

それでも、怪我を忍て出場を続けた。

 

去り際に後悔なく去るためには、どうすればいいか、少しわかった気がする。

 

キングオブクローザー、ありがとう。

 

意思決定を他人に委ねるとストレスが溜まる病気にかかっています。

仕事やプライベートで、意思決定を行う際、僕は可能な限り自分の意志を尊重したいと考えている。

 

いま、プライベートにおいては、ほぼ全て自分で決めることが出来ている。

 

3年くらい前までは、外食を行くのに口コミをみたり、行列ができると評判の店に行ったり、とにかく他人の意志で生きていた。

 

だが、転機となる出来事があり、自分の人生を生きようと決めた。

 

もしかしたら、僕が自分の意志だと思っているものは、他人によって巧妙に刷り込まれたものかもしれないし、今まで読んできた本や、観た映画、関わった人達に少なからず影響を受けている。

 

おそらく、純粋な本当の自分というのは存在しなくて、いろいろなものに影響を受けて今の自分がある。

 

だが、そういう要素は考えだしたらキリがないので、いまは、いろいろな要素に影響を受けた自分が本当の自分だと思い込んで生きている。

 

過去の全てが今の自分を作っているのだ。

 

自分の意志を尊重しないことは、過去の自分を否定することに等しいと思っている。

 

しかし、自分の意見だけが必ずしも絶対に正しいとは限らないことを理解している必要があると思う。そもそも、正義は絶対的なものではないから。

 

そういった背景があり、コントロールできる範囲で自分の意志は最優先することにしている。他人からどう見られるかは関係ない。

 

ただ、仕事においてはそうはいかない。

 

未だに年功序列が色濃く残る職場で働く僕は、上司の意見を尊重しなければならない。

 

 

もちろん経験は浅いので、上司の意見のほうが重みがあるのはわかる。

 

しかし、無知の知という点などで、僕にしか出せない意見もある筈だ。

 

他人の意見を聞くことの重要性は理解しているつもりだが、なんでも上司のやり方を尊重してそれをこなすだけの毎日にストレスを感じることがある。

 

僕個人の力でどうしようもないことに関しては何も感じないのだが、僕がコントロールできる余地があるものに関してはストレスを感じてしまうのだ。

 

転職は野手転向

異業種転職というのは、野手転向と同じだと思う。

 

ただ、プロ野球と異なるのは、求められるレベルが高くないという部分だ。

 

それともうひとつ、野手転向にするか、二刀流にするかは自分で選べる。

 

僕はまだ転職を経験していないが、たとえば部活でこういう経験をしたことがある。

 

小学校のとき、サッカークラブに入っていた僕は、中学から陸上部に入った。

 

もちろん陸上は

ノートに書く・まとめるだけが勉強じゃない

本の学校教育は、古来より、勉強といえばノートに文字を書くことだという先入観を植え付けてきた。

 

僕の通っていた中学では、社会の授業で、学校の出す評定において、ノート点というものがあった。

 

授業で黒板の板書をしっかりととっているか、とか、きれいにまとめてあるかとかいった内容を、ノートを提出させて判定するものだ。

 

僕はノートをきれいにとるタイプではなかった。

 

枠ははみ出すし、板書もとっておらず、授業はぼーっと話をきいているだけだった。

 

また、毎日自主学習最低1ページをこなしたノートを提出しなければならなかったのだが、9割数学1割その他といった感じだった。

 

 

疑問に思っていたのは、教科書と同じ内容のことをわざわざノートにまとめ直すことだ。

 

僕は字がきれいなほうではないので、むしろ自分でまとめたほうが読みにくい。

 

そういったこともあって、社会科の評定の一部を捨て、ノートは計算以外に使うのをやめた。

 

そして今、ノートの新しい使い方を知った。

 

 

プログラミングの勉強に際して、もちろん本に書いてあることを写すことはしていないが、その内容を自分なりにアレンジをして、書き出す際に使ったり、エラーを書きとどめておくのに使っている。

 

アウトプットに使っているのだ。

 

板書を否定するわけではないが、僕の中でノートはアウトプットに使うのが最適であるという結論がでた。

 

 

嘉弥真新也 に学ぶランチェスター戦略の力

https://news.yahoo.co.jp/articles/5bad5cd4e4a597b1616d3d5ecc0f07a74e6315ab

 

メジャーリーグでワンポイント登板が実質的に禁止となった。

 

おそらく、近い将来、日本球界でもそうなるだろう。

 

嘉弥真投手は、非常に高いレベルのホークスリリーフ陣の中で、自分の価値を見出し、そこに一点集中してきた。

 

入団当初、スリークォーターだったフォームは、より左打者を抑えることに集中すべく、サイドスローになり、球速は落ちたが、横方向の変化球に磨きをかけた。

 

終盤、対左打者に対して、嘉弥真投手が登板し、見事な火消しをする試合を何試合もみてきた。

 

今年は、開幕から12試合で防御率1.00。奪三振率は14.0だ。

 

嘉弥真選手は、ランチェスター戦略の力を教えてくれた。

 

対左打者のワンポイント。

 

ここに一点集中し、己を磨き続けた。

 

もしかしたら、オーバースローから150キロを超えるボールに憧れがあったかも知れない。

 

落ちるボールで三振を取り方たかったもしれない。

 

それでも彼は、自分の生きる道を信じ、そこに集中して取り組んできた。

 

身長172センチは、ピッチャーの中ではかなり小柄だ。

 

もし、オーバースローから150キロを目標にしていたら、今の活躍はなかったかもしれない。

少なくとも、僕はそう思う。

 

よく、選択と集中という言葉を聞くが、自分を理解し、集中すべき場所がみつけることが最も大切なのかもしれない。